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2008-04-03(Thu)

津山二葉園判決 その7

 養護施設に入所するのは、契約関係ではないから、「養護施設には子どもへの安全配慮義務はない」といっているように思えるのだけど、あたしの読み込み方が足りないのかしら?

 また、こんな理由も述べているの。

1.「児童擁護施設は,都道府県の措置(行政処分)に対しては受託義務があり,これを拒否する自由は認められない(法46条の2)。」

2.「逆に,県には,施設に対する監督権がある(法46条,社会福祉法56条)。」

3.「それにもかかわらず,安全配慮義務の責任だけ児童福祉施設が負うとするのは不公平である。」

4.社会福祉法61条1項1号にも,国及び地方公共団体は法的責任を施設に転嫁できないとの規定がある。

5.以上により,何らかの形で安全配慮義務が認められるとしても,被告菜花の里は履行補助者にすぎないと解すべきである。

 つまり、養護施設にいる子どもの安全配慮義務は、県にあり、養護施設は単なる補助者でしかないと言っているのね。

 sidoさんの児童福祉法改正に伴う親権の一部付与に関する考察によると、養護施設長には監護権を含めた親権が付与されているの。「安全配慮義務」というのは、この「監護権」に付随するものだと思うの。

 

(4)被告らの債務不履行責任の存否
(被告らの主張)

ア 被告菜花の里の責任
(ア) 原告らの主張は,安全配慮義務違反の論理を無限定に広げるものであり,採り得ない。そもそも,安全配慮義務違反は,契約関係にある当事者に本体的債務以外の付随的な義務を認める理論であった。その後,原告らの主張するように,必ずしも私法上の契約関係がなくとも,契約関係に類似する関係があれば,一定の範囲で安全配慮義務を認める裁判例が登場するに至ったが,これらの裁判例でも,無限定に安全配慮義務が認められるわけではなく,あくまでも契約類似の「合意」を基礎においていると見るべきである。原告らが引用する公立学校の在学関係に基づく安全配慮義務を認めた裁判例も,公立学校における学校と生徒との間の在学関係は私法上の契約そのものではないが,少なくとも生徒本人の合意で入学しているとの前提事実を,合意に基礎をおいた関係として,契約類似のものと捉えている。
 原告らは,公立学校の在学関係を引き合いに出すが,公立学校の在学関係は,あくまでも合意が前提となっている点で,何らの合意を前提としない児童養護施設とは大きく異なる。
 原告らは,原告らの二葉園への入所に当たり保護者などが「同意」しているので契約類似の「合意」が認められると主張する。しかし,原告らの主張する保護者の「同意」は,法27条4項に基づくものであるところ,同項は,「親権を行う者又は未成年後見人の意に反して,これ(入所措置)を採ることができない。」と規定されており,そもそも「同意」が要件となっておらず,親権者らの承諾を得ない限り入所措置決定ができないという意味ではない。しかも,親権者らの意思は入所措置への賛成・反対の意思表明であり,どこの施設に入るかという意味での「同意」ではない。実務上も,親権者らの意思確認の段階では,当該児童がどこの施設に入るかも決定していないのが通例である。本件では,児童の側にも二葉園の側にもおよそ選択の自由が存在せず,本件の同意入所は契約類似の合意とは全く質的に異なるものであることが明らかである。

(イ) 児童擁護施設は,保護者のない児童等を入所させて養護することを目的とする施設であり,都道府県は,児童相談所の長の報告を受けて,保護者がないか又は保護者による適切な養護監護が期待できない児童(以下「要保護児童」という。)を児童養護施設等に入所させるなどの措置(以下「3号措置」という。)を採らなければならないとされている(法27条1項3号)。したがって,児童養護施設と入所児童との法律関係は,3号措置という行政処分に基づく公法上の関係であり,私法上の契約関係ではない。
 なお,原告らの主張する「準委任契約」は県と施設との関係であり,措置児童と施設との法律関係ではないから,この「準委任契約」が安全配慮義務を導く根拠とはならないことは明らかである。
 以上により,二葉園が「措置委託という準委任契約を介することで」安全配慮義務を負うとの原告らの主張は失当である。

(ウ) 原告らは,本件のような入所生活型施設では,在学関係にも増して親権者などに代わって児童の養育,監護に努める直接的立場にある被告らが直接的責任を負うべきと主張する。
 しかし,仮に原告らの主張するような信義則上の安全配慮義務が本件において生ずるとしても,それは,原告らに二葉園への入所措置を命令した岡山県に生ずる義務であって,児童擁護施設である二葉園は,あくまでも岡山県の履行補助者にすぎず,主体ではない。
 一般に,児童に対して,一次的かつ直接的な養育監護義務を負うのは保護者であるから,保護者による適切な養育監護が期待できる児童の育成に関しては,国及び地方公共団体の役割は,補充的,間接的ないし後見的なものにとどまると考えられる。これに対し,保護者がいない等の要保護児童に対する関係では,国又は地方公共団体が,当該児童の養育監護に関する一次的かつ直接的な責任を担う必要が生じ得る。このことを踏まえて,法は,3号措置を含め,要保護児童に対する関係で都道府県の有する権限及び採るべき措置を具体的に規定しているものと解される。このような法の趣旨に照らせば,地方公共団体(都道府県)が要保護児童につき3号措置を採って当該児童を民営施設に入所させた場合に
は,当該措置児童に対する関係では,入所後の施設における養育監護は,本来都道府県が行うべき事務(公務)であり,都道府県が当該施設の長に委託して措置児童の養育監護を行わせていると解することができる。
 このような両者の関係に鑑み,児童擁護施設は,都道府県の措置(行政処分)に対しては受託義務があり,これを拒否する自由は認められない(法46条の2)。逆に,県には,施設に対する監督権がある(法46条,社会福祉法56条)。それにもかかわらず,安全配慮義務の責任だけ児童福祉施設が負うとするのは不公平である。社会福祉法61条1項1号にも,国及び地方公共団体は法的責任を施設に転嫁できないとの規定がある。
 以上により,何らかの形で安全配慮義務が認められるとしても,被告菜花の里は履行補助者にすぎないと解すべきである。

イ 被告水島の責任
 「履行補助者」の概念は,契約当事者だけでなく,債務の履行を補助する者の行為の責任を契約当事者に負わせるためのものであるから,仮に,被告水島が被告菜花の里の「履行補助者」であるとしても,「履行補助者」自身である被告水島の債務不履行責任を問うことはできない。

tag : 津山二葉園

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 同じ理由で、遊んであげてるヒマがないので以下同文。ポチっ。

ポチっとしました。

 今、Mariaと2人で津山二葉園のサイトを構築中で忙しいので、ポチっとしときました。

 

ご返信ありがとうございます。

ご返信ありがとうございます。少々誤解があるようなので、ご返信させて頂きます。

<<過去に虐待された者の気持ちを分かれというような意見はうんざりするほど聞いてきてるので

私のコメントをよくお読みください。私は「虐待されたものの気持ちを分かれ」と言っているのではありません。「ご自分のお気持ちをちゃんと認識されていらっしゃいますか?」と言っているのです。

私には、結局のところ、あなた方の主張は自分自身の心の防壁をより高く、より厚くするためのものにしか思えないのです。かつてご自分に向けられた攻撃性を他者に向け、カタルシスを得ているようにしか見えないのです。私が「児童養護施設を無くしたいと思っておられるのでしょうか?」とご質問したのは、そういう意味です。

<<わたし達は、養護施設を無くしたいなどとは言っていません。

では、「養護施設は子どもの地獄」、この言葉に込められた気持ちは何なんのでしょうか?あなた方の主張は、本当なのでしょうか?

「過去に虐待された者の気持ちを分かれというような意見」を聞いて何故「うんざり」されたのですか?何故その意見を受け入れないのでしょうか?分からないのではなく、分かりたくないのではないでしょうか?分かってしまったら、自分たちの活動内容が否定されてしまうから。

あなた方の活動の本質は、何なのでしょうか?

 はじめまして。Mariaはとっても忙しいので、たまたまここにいたLeiが返事します。

 それにしても回りくどい言い方ですね。あなたのような

 過去に虐待された者の気持ちを分かれというような意見はうんざりするほど聞いてきてるので、Mariaも面倒臭がって返事しないと思います。
 
 初めての方へ を読んで下さいね、まずは。左のサイドバーから行けますので。

  わたし達は、養護施設を無くしたいなどとは言っていません。親が育てられない子ども、遺棄された子ども、養育放棄された子どもが全ての子ども時代を養護施設で育つ事の問題を語っています。

 その上で施設の虐待問題を発信してます。

 以上。

Maria様、はじめまして。

Maria様、はじめまして。当ブログ、前ブログ、拝見させて頂きました。大変勉強になりました。ありがとうございます。

さて、今回コメントさせて頂いたのは、どうしてもMaria様にご質問したいことがあったためです。失礼を承知で申し上げます。

Maria様はただ単に児童養護施設を無くしたいと思っておられるのでしょうか?それとも虐待を止めたいと思っておられるのでしょうか?

前者でしたら児童養護施設について何も知らない私に言えることは何一つありません。もし後者でしたら法による処罰を求めるだけでは解決できないと言わざるを得ません。何故なら、それは死刑囚に死刑が執行されても事件が終わったわけではないのと同じように、法で裁いたところで虐待の本質が明らかになったわけではないからです。子供の安全を確保する為に法の力は必要です。しかしそれは、残念乍ら根本的な解決にはなっていないのです。

これは私自身への言葉でもあるのですが、虐待を止めたいのなら、まずは他人ではなく自分自身に目を向けなければならないと思います。幼い頃、表現することを許されなかった憤り、恨み、悲しみに目を向けることだと思うのです。殴られても「ありがとう」と言わなければいけなかったあの感情を認識することだと思うのです。それができた時、理屈ではなく感情レベルで理解できると思います。実は虐待を行っていた者も虐待を受けていたことを。

「悪を見つけ出して裁く」と言う発想自体が虐待的であり、例えて言うなら「毒で毒消し」しようとしているわけで、それでは上手く行きっこありません。Maria様が真実を丸めてぶつければ、虐待は減るかもしれません。しかしその相手はなぜ虐待を止めたのでしょうか?それはMaria様に真実を丸めてぶつけられ痛い思いをしたからです。ぶつけられなくなったら再び虐待を繰り返すでしょう。虐待者は批判を恐れ、口をつぐみ、なぜ虐待が起きたのかは明らかにされず、その結果知識化されず、虐待は闇へと消えて行ってしまうのです。それでは虐待被害者の心の傷も癒えないでしょう。

虐待を止めるには、虐待者と虐待被害者が向き合わなければならないと思います。そのためには、まず自分自身と向き合わなければならないのではないでしょうか?それはとても辛くて、苦しく、悲しい道ですが、その道を選んだ人間は、他人を虐待したり自分を虐待したりはしないはずです。そこで初めて虐待の本質を理解できるようになるのではないでしょうか?道徳的理屈ではなく、心で。

アリス・ミラー著『魂の殺人』と言う本をお読みになったことはありますか?暴力の本質を見事に見抜いた本です。お読みになってみては如何でしょうか?

長々と申し訳ありませんでした。気分を害されたのであればここで謝罪致します。誠に申し訳ありませんでした。批判的なコメントになってしまいましたが、今行われている虐待から子供を救うには法の力が必要不可欠です。Maria様の活動を陰乍ら応援させて頂きます。貴重なスペース失礼致しました。

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