2008.06/25 [Wed]
Books もう学校には行けない

もう学校には行けない⇒(出版社HP)
養護施設での虐待が原因で、PTSDの症状に苦しみ、重度の愛着障害と診断された幸恵。
思春期を迎えると、愛着障害は不安症へと悪化していった。さらに追い討ちをかけるように、学校では執拗ないじめをうけ、不登校、転校を繰り返す。
それでもどうしてそこまで彼女は学校にこだわるのか? つらいだけの学校になぜまた行きたいと思うのか? 不安症と闘う少女が学校・親・友達への思いのたけをぶつけた、鮮烈なドキュメント。
Leiちゃんが、とってもわかりやすい説明をしてくれた。
⇒読書感想文:「世界中の愛を全部ください」&「もう学校には行けない」
ありがとう。まさに、人生の始まりが集団であった子どもの問題ね。
あたしも、読んでいて、ずっと違和感を感じていた。こんな子は、養護施設にはたくさん居たわ。
未熟な子どもたちが集団の中で、規範のないパワーゲームをし続けている。そこに大人は登場しない。
「世界中の愛を全部下さい」と、ヒットラーの「全世界を我が手に」とは、とても近いものがあるの。支配・被支配の関係性から紐解けば、パワーゲームが見えてくる。
この子には、里親さんとの絆づくりよりも、子ども集団のパワーゲームに取り憑かれている。あたしは、たった数人(里父・里母)の深い愛があれば、世界中の、どこの誰だか判らない人たちの愛なんていらない。だけど、この子には、それが判らない。気持ちは、常に集団に向かっている。
不登校なら、里親家庭の繭にくるまってまどろめばいい。だけど、一つの集団で失敗すると、次の集団に入るべく学校探しをする。自宅で個人学習をして、高卒認定を受ける道もあるのに、集団しか目に入らない。
でも、自己が確立していないのに、正しい他者関係なんて築けない。親子関係から始まる基本的信頼関係を知らないのに、適切な距離の信頼関係なんて作れない。
愛着障害と診断されたようだけど、学校での人間関係の陰謀画策ぶりは、集団適応障害と言ってもいいくらい。
他人なんてどうでもいい。自分の心を見つめ、自己を確立し、自分の足で歩けるようになってこそ、集団の中でのポジションができてくるの。集団に入るには、自分がなければならないの。
「きちんと引きこもって、自分を育てなさい」といいたくなる。
人生の始まりが集団であった乳児院・養護施設の子どもたちは、多かれ少なかれ、この子ような集団パワーゲームを身につけている。そして、このような集団は、少しの刺激ですぐに暴走する。どこに向けて走っているかも判らずに…











No title
実は僕はクリスチャンなのですが、知り合いの牧師の奥様がうちのそばの養護施設育ちです。
彼女は、あそこを出て30年たって、やっとあの当時のことを話せるようになった、といっています。それぐらいトラウマとして残っているんだと。
今でも時々夢に見るそうです。
僕はいま、「小さな命を守る会」というのに加盟しています。これは生まれたけど育てられない赤ちゃんを施設に預けるのではなく、里親になってくれる人を探してその資金的、また精神的ケアをするものです。
アメリカでは里親は当たり前。しかし日本ではまだまだ。なんとかならないものかなあ、と考えさせられています。
もしご迷惑でなければ、リンク貼っていいですか?よろしくお願いします。