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2009-04-21(Tue)

日本では捨てられた子は居場所がない…

  祟りってなに?の続きよ。

 いよいよ、佳境に入って、日本文化の謎解きの興奮すら覚えるわ。

 第11章 合理的で国民的な家族
 飢餓と枠/ヨーロッパの捨て子/家族の慣習/日本のトクヴィル/三つの立場の横顔
 
 「家族は水田である」という隠喩が表すように、庶民は「間引き」を合理的なことだと考えたのね。
「夫婦は、間引きにより、子どもの間隔をあけることとで、より大きな利点を得た」というの。

 片やヨーロッパなどのキリスト教圏では「子どもを始末するもっとも批判の低いのは遺棄」であるとして、生まれた子どもの遺棄が、何世紀にもわたって高い頻度で行われていたというの。
 そして、子どもを収容する孤児院でも、子どもの死亡率が90%を超えた場合もあるというのね。
 
すなわち、中絶とか幼児殺しを行った日本人の親は意図的に子どもを殺しているが、遺棄のやり方を選んだヨーロッパ人のほうは子どもをたんに未知なる運命に委ねたにすぎない。これを宗教的に言えば、、「神の手」とか、芭蕉流に言えば「天命」に委ねたにすぎないのだ

 
 と、日本とヨーロッパの子捨ての比較を行っているの。
 
 
 さらに、「生きることを許されなかった子どもは神仏の元に帰され、生きることを選ばれた子どもには多くのものが与えられ、高い水準で教育された」のね。

 日本には、水子となって神仏の元に帰された子と、家庭で大切に育てられ子どもしかいないかのよう。生きたまま捨てられ、生き延びたとしても、子ども時代の全てを施設で育つ子は、日本の文化の中では立ち位置が無いのかもしれないのね。
 ひょっとして、「水子にも、家庭の子にもなれない」捨てられた施設の子たちが、日本の文化から切り離された存在であるのは、このあたりから来ているのかもしれないわね。
 
 あと、面白い分析として、欧米では、中絶論争が二分化されるのに対して、日本では、三つの立場で表されるというの。
 「中絶賛成派(プロチョイス)」と「中絶反対(プロライブ)」の主張は、欧米も日本も、驚くほど酷似しているというの。

 ただ、日本では、どちらにも与しない仏教徒の立場があるというの。もちろん、水子供養商売のお寺ではなく。
 胎児を人間の生命と見なす言語と認め、奨励しながらも、そこから中絶は許されないという結論は導き出さないの。
 
 その理由については、あたしの読解が弱いのか、いまひとつ読み取れないの。
 
 この章を読んだ感想。

 ここまで読んで思ったのは、日本は、水子供養への関心や、家庭の子どもを育てることへの関心は高く、それは文化とも言えるけど、生きたまま捨てられた子どもの「文化」は存在しないのね。

 前回、「養護施設は水子寺?」と題した記事を書いたけど、養護施設は賽の河原ですらなく、ましてや供養によって慰められる水子ですらなく、ただ、捨てられ、忘れ去られた存在なのだと、改めて思ったの。
 ま、捨てられた存在であるとは自覚していたけど、日本文化からも捨てられていたのかもしれないわね。

 かなり、衝撃的な気付きなんですけど…

 写真を添付する元気もでないわ…

 そういえば、昔、生物親に刺されて死の一歩手前まで行ったLeiちゃんを「うらやましい」と言った施設育ちがいたけど、「親に手をかけられ、水子になって」、親からの思い(供養?)を受けたかったのかしら…
 彼女の言葉は、この水子供養の文化的背景を知らないと 理解できないわね。その理解も、文化人類学的に理解するのであって、共感的な理解ではないけど…。
あまりに捨てらきったあたしたちには、迷惑な話でしかないけど…

 で、次は「第12章 異文化の交差」で最後の章となるの。

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施設の子は「生霊」のような存在

 Mariaの文章は印刷して、海沿いのどこかの洞窟に入れといて、五千年経ったら○○文書として発掘されたい気分だよ、ありがとう。

 死に切れず、生ききれず、どっちつかずの世界でどのようにも解釈されてしまう世界にいる。

 そのような捨てられた子がこのよに蘇る唯一の機会は里親家庭へ委託される事だけれど、生物親はなかなか了承しない。

 表向きは子を手放したくないという理由を挙げるけど、施設に入れっぱなしで育てる気配もない、面会もなし。

 生物親たちの事を、子を育てたかったのに育てられなかった悲劇の親としている限り、要らない子は里親家庭に行けない。

 生きているのか死んでいるのか判らない存在として集団の子どもの中に紛れて互いになんとか生きている。

 ありがとうね、そして朝はごめん、まだまだ条件反射で生きてしまう。
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